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金子眼鏡と 仕事と 人と

2023.03.20

グローバル戦略室スタッフ/
金子眼鏡店 羽田空港第3ターミナル店 店長 
栗林直樹



 


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努力。これほど言葉にするのがたやすく、実行するのが難しいものはない。しかし、まれにその努力を努力と思わずに、前に進むために、成長したいがために人一倍勉強し、考え、働き、結果を出す人がいる。現在、東京の空の玄関口・羽田空港国際線ターミナル内にある店舗を任されつつ、主にアジア方面の海外戦略の中軸を担うスタッフとして多忙な日々を送る栗林直樹。本人は謙遜しながら否定するかもしれないが、栗林を知る会社の仲間や部下にとっての彼は「努力の上で結果を残す人」である。現在61歳。栗林にとって、その年齢は数に過ぎない。また「年相応」という概念もなく、自分の成長と会社の成長のために今日も最前線で仕事と向き合っている。
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海外進出の鍵を握る特異なポジション

新型コロナウイルスの影響で、しばらくの間休業を余儀なくされていた金子眼鏡店 羽田空港第3ターミナル店だが、今年2月よりようやく営業再開することができた。同時に海外渡航への縛りもゆるんだこともあり、栗林の仕事もにわかに慌ただしくなってきた。金子眼鏡は2000年にニューヨーク・ソーホーに直営店をオープンして以来、日本国内における直営店舗の展開と並行して、欧米・アジア諸国を中心に販売拠点の拡大にも力を注いできた。そして2015年にはフランス法人を設立し、パリに2店舗の直営店を展開。本来であれば2020年あたりから他国での直営店展開を含めた本格的な海外進出のための準備を進めてきた。その一つがアジアへの進出で、すでに中国・上海に会社法人を設立。今後、栗林は国際線ターミナル内の店舗の運営をしながら、中国の拠点でも直営店の立ち上げに向けて仕事をすることになる。金子眼鏡の中においてもこの栗林のポジションは独特だ。「だから自分がどこに属してるのかわからないというか、いろんなところに首を突っ込んでるという(笑)。でもそこは臨機応変にやっていく感じですね」30代の頃から英語を学び、40代からは中国語を勉強してきた。いまや英語も中国語も日常的に話せるようになった。これは栗林が仕事をする上での絶対的なスキルと考えている部分で、それゆえに10年以上前から会社に対して海外進出を積極的に推進してきた。彼が現在の特異な立場にいるのは、そういった背景があり、会社にとっても「海外を任せられる人物」と信頼を寄せられているからに他ならない。
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前進あるのみ。引退はない。

栗林が現在の栗林になるまでは、決して順風満帆ではない辛酸を舐めた過去がある。新潟県に生まれ、地元の高校を卒業して上京し、かねてから続けてきたバンド活動を本格化させ、音楽の専門学校に通いながらプロを目指した。7年間、バイトで食いつなぎながら本気で音楽と向き合った結果、見えてきたのは「努力が実を結ぶわけではない世界」。自分の才能に限界を感じたのと、親からも「25歳になるまでに就職をしないと縁を切る」と言われていたこともあり、音楽に見切りをつけてアパレル会社に就職した。「大して才能がなかったんですけど、全然後悔もしてなくて。だって、サラリーマンってやろうと思えばいつでもできるじゃないですか。でも本気で音楽をやるっていうのはあの頃しかできなかったことだし。いま思えば良い経験でしかないですよ」

25歳からアパレル業界に15年間身を置き、40歳で大手眼鏡会社に転職。配属となったのは系列だった3プライス業態の店舗だった。しかしその職場があまりの激務と売上達成へのプレッシャーが強いこともあり、スタッフは入っては辞めてを繰り返すサバイバル状態。この過酷な環境の中、栗林は体力と気力を極限まで削りながら働き、店長として配属された店舗で次々と売上を上げ、実績を積み重ねた。しかし。「あの頃は人一倍働いて、人一倍技術を身につけて、ある程度の実績を上げたら転職しようというのが目標でした。もう、そうしないと体がもたないと思ってたので」40代に入ってまもなく、ついに体が悲鳴をあげ、過労から敗血症を患って緊急入院し、生死の境をさまよった。1ヶ月間を病院のベッドで過ごし、幸いにも後遺症もなく職場に復帰したがこの会社での役目はすでに全うしたと考えていた。自分の中で立てた目標も達成し、誰も文句のつけようのない売上を残し、45歳のときに金子眼鏡へキャリア転職した。「3プライスの店の場合、あの業態の宿命なんですがどうしても多くのお客さんを『さばく』というスタンスになってしまうんです。とてもじゃないけどお客様と密な関係は築けない。でも金子眼鏡はそこが決定的に違って、密な接客がむしろ醍醐味で、なおかつ眼鏡のクオリティが高い。そんな商品を扱ってるから自分も成長できる。この会社に入って、お客様との関係性を築くことの楽しさを初めて知りましたね」

金子に籍を置いて今年で16年目。60歳を過ぎてもやるべきこと、または自分がやりたいことはまだまだある。「自分の中では『引退』はないんですよね、今のところ。一生働いていたいと思ってるし、仕事についても先のことしか考えてないんです。そういうスタンスで仕事ができるのは恵まれてますよね。会社の一員として思うのは金子眼鏡の魅力=社長の魅力だと思うんです。金子社長の思想がいろんなところに反映されて、我々はその中で仕事をしている。そしてなによりクオリティの高い眼鏡を自分たちでデザインして、自分たちで製造して、それを扱っているという大きな自負があります。これは他の多くの同業他社とは決定的に違う部分だと思うし、そんな環境で仕事ができるのは幸せなことで。なおかつ今は海外に目を向けながら、将来的にも新しい希望が持てる。75歳で一区切りかなとは思ってますが、今は引退なんて考えられないですね」。


PROFILE

栗林直樹/Naoki Kuribayashi

新潟県出身。地元の高校卒業後に上京。バンド活動をしながら音楽系の専門学校に行きプロを目指したが25歳で見切りをつけ、アパレル会社に就職。40歳で大手眼鏡会社に転職し、系列の3プライス業態の眼鏡店に配属。配属された各店で目覚ましい実績を上げ、金子眼鏡にキャリア転職。現在は羽田空港第3ターミナル店の店長と海外進出の鍵を握るグローバル戦略室スタッフを兼務。