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めがねのある暮らし

2023.12.23

中村奈珠さん

多摩美術大学グラフィックデザイン学科


 


中村奈珠さん1
駅前の喧噪を背にバスに揺られながら、新興住宅地に挟まれた緩やかな坂をいくつか上っていくと、こんもりとした木々の向こうに、スタイリッシュなデザインの校舎が顔の半分を覗かせる。ここは多摩美術大学の八王子キャンパス。東西に細長い多摩ニュータウンの西端に位置しており、ニュータウンのなかでも近年開発が進んできたエリアだ。近隣には東京工科大学、東京都立大学などがあり、いずれも多摩丘陵に新天地を求めて一部の学部を移設してきた。
中村奈珠さんは高校時代まで北海道で過ごし、今は親元を離れて都内に住む、多摩美術大学グラフィックデザイン学科の3回生。間近に控える就職活動のことが時おり頭をかすめながらも、キャンパスライフを謳歌する日々を過ごしている。物心ついたころから、絵を描くのが好きだった。中高時代、クラスで何か絵が欲しいとなったら、真っ先に「奈珠ちゃん描いて」と頼まれた。絵が上手なクラスメイトとして、周囲からも一目置かれる存在だったのだろう。
中村奈珠さん2 中村奈珠さん3

誰かに喜んでもらうこと。

絵を描くのが好き。それは間違いないけど正確じゃないかも、と奈珠さんは言う。「絵を描くこと自体が好きというよりも、私が絵を描いたら人が喜んでくれるんですね。お友達のお誕生日プレゼントに絵を添えると、『わあっ』と笑顔になってくれる。その反応が嬉しくてたまらないから、絵を描いてきた。そんな気がします」。
その原点は幼少時代に遡る。思いのまま紙に絵を描き、たどたどしい平仮名を添えたものを両親に見せると、とても喜んでくれた。それが嬉しくて、もっと描いてやろうと思う。そしてまた、褒められる。それが「絵を描くのが好き」の始まりだった。とくに小学生のころまでは、ヒマさえあれば絵を描いていたという。
奈珠さんの絵心は現役グラフィックデザイナーの父親譲りのようで、父は奈珠さんが書き散らかした絵を丁寧にとっておき、後年、一冊の手作り絵本に仕上げた。タイトルは「なずのほん(奈珠の本)」。ちなみに兄も同じように絵を描いており、これも絵本にしている。タイトルは「なずはかいじゅう(奈珠は怪獣)」だった。子どもたちが描いた絵や文字を愛おしく思う、父の愛情がこもった世界に一冊だけの絵本だ。

絵を描くのは生活の一部になっていたが、やがて成長すると共に音楽の方に興味が移った。高校時代には軽音楽部の友人たちとバンドを組み、ライブハウスで演奏したこともある。「もちろん音楽は大好きでしたが、何よりも人前で演奏して、皆が笑顔になるのを見るのが嬉しかったんですよね。結局、絵も音楽も、誰かに喜んでもらえることが、私のモチベーションになっていたんだなと、今思います」。
大学進学を前にして、奈珠さんは再びアートの世界に向き合い、美術系の大学をめざすことにした。「決め手になったのは父の仕事ですね。私の絵本を作ってくれたのもそうですし、広告物のデザインなどもやっていて、こういう道に進むのも素敵だなと思って」。そして、多摩美術大学を目標に定めた。
だが現役時代の入学試験ではあえなく不合格。専門学校に進む選択肢もあったが、父は「浪人しても良いから、もう一度多摩美をめざしてごらん」と背中を押した。専門学校はどちらかといえば卒業後の職業に就くための予行演習のような部分があり、入学と同時に将来の進路が狭まってしまいがち。「どんな仕事を選ぶかは大学時代にゆっくり考えればいい。それよりも人間を育ててくれる場所を選びなさい、というアドバイスだったと受けとめています」。
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人を繋げる根っこになりたい。

大学生活も丸3年近くが経過し、絵やデザインというものは、誰かと繋がるため、コミュニケーションをとるための手段なんだなと、奈珠さんは思い始めている。大学には彫刻学科や工芸学科、プロダクトデザインやテキスタイルデザインを専攻する学科などがあり、他の学科にも友人がいる。友人たちとの交流を重ねながら一緒に何かやりたいし、コラボレーションで面白いものを創りたいという気持ちも湧き上がってきた。
奈珠さんが考えているのは、創作者として自分が前面に出るというよりも、自分が根っこになって、いろんな人の個性を繋げていくこと。ちょうどプロデューサー的な役割、グラフィックデザインの世界でいうなら、カメラマンやイラストレーターなどの専門職をまとめるアートディレクターのような役割を志向しているようだ。

そんな感覚は、たまたま巡りあったアルバイトの経験を通じて、確信に変わりつつある。それは、子どもを対象にしたアートスクールでのアルバイト。子どもたちが絵を描く、粘土をこねる、などの創作活動を支援する仕事だ。「どうしたら上手に描けるかな。こうしたらもっと面白くなるかもね。そんな対話をしながら、子どもたちの自発的な『もっとやりたい』という気持ちを育んでいくのが私の役割。子どもたち一人ひとりがもっている独自の視点や個性をうまく引き出してあげる仕事です。もう、これが楽しくて楽しくてたまらないんです。とても素敵なのを作るんですよ」。
そう言って、カタツムリを題材にしたワークショップの写真を見せてくれた。子どもたちの笑顔は、奈珠さんが幼少時代に、両親から絵を褒められたときの笑顔とも重なっていそうだ。
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安心感のある眼鏡が良い。

眼鏡は中学時代までかけていた。だが鏡を見るたびに、自分に眼鏡は似合わない感じがした。まるで余興で使うパーティ眼鏡をかけているような気分で、鼻までが借り物に見えてきてしまう。それからは眼鏡をかけることがコンプレックスになり、裸眼で通した。日常生活でとくに困ったことはなかったが、デッサンの個人レッスンを受けたとき、視力が落ちていることを痛感。1メートルほどの距離にある対象物なのに、ディテールが少しぼやけて見えてしまうのだ。多摩美術大学の受験にデッサンの実技は必須なので、「いよいよ眼鏡かなあ」と覚悟した。
ちょうどそんなころ、父から「眼鏡を買いに行こう」と声をかけられ、行きつけのお店に連れていかれた。それが金子眼鏡店 函館店だった。市電が通る表通りから傾斜が強めの坂を上ったところにある、ちょっぴり隠れ家的なお店。奈珠さんにとって、街中の眼鏡店はギラギラ・ピカピカした感じで近寄りがたかったが、我が家のインテリアともイメージが重なるような落ち着いた装いには親近感を感じ、「いかにもお父さんっぽいな」と思った。

買う気満々の父からは「こんなフレームどう?」と薦められたが、身近な人よりも第三者の客観的なアドバイスに頼りたくて、店員のお薦めに身を委ねた。奈珠さん自身、自分の好みはハッキリしている方だと思っている。ピカピカしたものよりも、落ち着いた感じのものが好き。鮮やかな色よりも茶色が好き。ブティックに飾られた華やかなドレスよりも古着屋さんの服が好き。でも買う段になると考え込んでしまって、決めきれないことも多い。
そんな奈珠さんと対話を重ねながら、店員からイチ推しで薦められたのが今の眼鏡だ。若い女性が好んで選ぶタイプではないが、不思議とフィットする感覚があり、鏡の中には、ありたい自分に寄り添ってくれる眼鏡をかけた自分がいて、思わず頬が緩んだ。「眼鏡にかけられているのではなく、自分の顔の一部に馴染んでくれるようなフレームだなと思いました。とても安心感があると感じたことを覚えています」。側で見ていた父も納得の一品だった。
新しい眼鏡を初めてかけて出かけたとき、実家にも遊びに来たことがある親友からは「奈珠ん家みたいだね」と言われた。ウッディーでアンティークな家具が多い、自宅の雰囲気と似ているからだった。奈珠さん自身が感じていた「安心感」の理由に、合点がいく気がした。予備校時代には自分で札幌市内の金子眼鏡店に立ち寄ったことがあり、ここでフレームの調整などをしてもらった。主要都市に店があり、気になる点があればすぐに相談できるのも「安心感」の一つだ。

間もなく就職活動が始まる。自分らしさは大切にしながらも、いろんな人の価値観とも自由につながりながら、面白いものが創りたいと思う。当面は自分に馴染んだ今の眼鏡を使おうと思っているが、社会人になるころには新しい眼鏡が欲しいな、とも思う。都心に出かけたときは、金子眼鏡のお店を見つけては店内をチラチラと覗いている。新しい自分らしさと巡りあうのも、そう遠くはなさそうだ。