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金子眼鏡と 仕事と 人と

2022.05.20
エリアマネージャー/
金子眼鏡店 南船場店・グランフロント大阪店 店長

成田 将也


 
成田将也
子どもの頃から「おまえは変わってる」とまわりから言われ続けてきた。それは学生になっても、大人になっても同じだった。「自分では全くそんな認識はなかったから、なんでそんなことを言われるんだろうっていつも首を傾げてましたね(笑)」それはきっと、彼が「変わってる」のではない。なにかの選択を迫られたとき、なにかを決断しなければならないとき。物心をついた頃から芽生えた「頭で考えるな。感じに行け」という彼のぶれない行動指針が、きっと周囲にそう思わせるのだろう。多くの人が内心そうしたいと思うような大胆なことを、ごく自然にサラッとやってのける人。それが取材を終えて筆者が真っ先に感じたことだ。

現在、エリアマネージャーとして『金子眼鏡店 南船場店』と『金子眼鏡店 グランフロント大阪店』の店長を兼任する成田将也。
2005(平成17)年3月に入社し、今年17年目。同期からは「人一倍おしゃれで、こだわりが強く、そして気遣いの人」と評される人物である。岐阜県多治見市出身。眼鏡との縁は幼少期からあった。それもユニークな形で。「母方の叔父が眼鏡のデザイナーの仕事をしていたんですよ。最初はメーカーに勤めてたんですが、そのあとフリーになっていつも自宅で仕事してました。子どもの頃からおじさんの自宅に遊びに行って仕事部屋を覗くと、彼がデザインした眼鏡のサンプルがそこらじゅうに転がってて。僕は中学1年くらいから眼鏡をかけ始めたもんだから次第に眼鏡という道具自体に興味が湧いて、よくそのサンプルをもらってたんです。でも当然レンズは入ってないので、お年玉やお小遣いが貯まったらレンズを入れに行くっていうのを繰り返してたので、中学生のくせに眼鏡3本とか持ってたんですよ(笑)。全部、叔父からもらったサンプルですけどね」
やがてその少年は青年になり、気づけば立派な眼鏡オタクになっていた。高校を卒業し、地元の大学へ進学した成田。岐阜から名古屋駅まではJRで40分程度だったので、遊びに行くのも買い物に行くにもいつも名古屋市内だった。「大学生のとき、アルバイトで稼いだ金の半分以上は名古屋に行って眼鏡につぎ込んでました。いくら使ったかわからないくらい(笑)」ときは1990年代後半から2000年代前半。日本国内で優れたデザイナーとメーカーが次々と生まれて眼鏡のセレクトショップが登場し、一大「アイウェアブーム」が巻き起こっているさなかだった。
金子眼鏡店 南船場店 メインビジュアル2 成田将也

感じたら、迷うことなく。

大学3年になって就活が始まった。成田が専攻していたのは情報処理。当然、彼の就活は情報処理系の業界を中心に動き、働き先の見通しもほぼ立っていた。そんなある日、いつものように名古屋まで足を運び、初めて入った眼鏡店でスタッフと眼鏡談義で盛り上がったとき「成田さん、眼鏡業界で働いてくださいよ」と言われた。叔父から眼鏡のサンプルをもらっていた頃も、大学生になってバイト代を眼鏡につぎ込んでからも、どれだけ眼鏡のことが好きになっても眼鏡業界で働くという発想に至ったことは一度もなかった。
しかし店員がつぶやいたその一言で、初めて自分が仕事として眼鏡の世界に身を置くイメージが描けた。「それ、おもしろいかも」昔から、感じたことに対しては正直に行動してきた。すぐに就活を方向転換し、地元の眼鏡店への就職を決めた。その頃、もともと眼鏡好きなゆえ同業にもかかわらず、プライベートで贔屓にしていた店があった。金子眼鏡にとって名古屋初進出店である栄地区の『COMPLEX 名古屋店』だ。成田にとってこの店は商品のラインナップも魅力的だったが、それ以上に店で働く人たちも魅力的に感じた。特に、当時店長を務めていた東野英生との出会いはその後の成田の人生に大きな影響を与えることになる。COMPLEX 名古屋店に通うようになってある程度の時間が経った頃、突然東野から電話がきた。要件は、名古屋で新たに出店が決まった『FACIAL INDEX NEW YORK 名古屋店』のオープニングスタッフとして働かないかという打診だった。「そんなふうに声をかけられて嬉しかったんですけど、その頃働いていた職場に対してなんの不満もなかったんですよ。ちょうどオーダーの補聴器の仕事ができるようになった頃で、その仕事もやりがいがあって楽しかったんです。でも、東野さんがいうその新店というのが、聞けばデパートの1Fに出す店だって聞いてて。当時は珍しかったんですよ、デパートの1階に眼鏡店というのが。だから、たしかにそれは面白そうだなとは思ってて。でも自分は金子眼鏡の『FACIAL INDEX』という看板を掲げた店を見たことがなかったので、まずはどんな店か実際に見て、感じないことには考えられないなと思って、東野さんの打診をもらった次の休日に東京・丸の内の店舗まで行って、そこの接客を受けながら眼鏡を1本つくってきたんですよ。いい店だなと思いました。店も、商品も。でもそれ以上に東野さんという人が自分にとってやっぱり魅力のある人で、その人から直接誘ってもらえたという気持ちが大きかった。だから、帰りの新幹線の中で転職を決めました」成田は名古屋に着いたその足でCOMPLEXに足を運び、東野に「お世話になります」と一言だけ伝えた。
成田将也

Don't think. Feel.

かくして、華々しくオープンした『FACIAL INDEX NEW YORK 名古屋店』のオープニングスタッフとして迎え入れられた。成田があとから聞いたところによれば、東野が成田に入社の打診をする際、社長の金子真也から「おまえがいいと思う人材なら採用は一任する」と言われていたという。だから入社の際は面接もなかった。「面接もなければ、履歴書も書いてないんです(笑)。今じゃあり得ないし、その頃だってあり得ない。信用していただけて、ありがたい話ですけどね」

成田はもともと自然と笑みを浮かべながら誰かに話しかけることができるタイプではなく、決して接客向きではないと自分でも感じていた。親戚からは「あんたが接客業をやってるなんて信じられない」としばらく揶揄されたくらいだ。しかし感じるままに決めた眼鏡業界で、そのうち先輩から「怖いもの知らずだね」と言われるくらい臆せず接客していけるようになった。そして新たに飛び込んだ世界では、より接客を磨き上げ、深い理解で極めていこうと思う気持ちが一層高まっていった。成田にとってそれは、あらゆる現場に出向いて一流の接客を受けて「感じる」ことにほかならない。
「接客の分野でレベルの高い現場ってどこだろうって考えたとき、おそらく高級ホテルだなって思ったんです。それもお客様から長い年月をかけて愛されているホテル。偶然、個人的に親しくしていたお客様がホテルに勤めてたこともあったので、一度一流の接客を受けに行こうと身銭を切って宿泊したんですよ。頭の中で『いい接客ってなんだろう』って考えたところで、きっと何も生まれないから。で、実際にそこで働く人たちからいろんなサービスを受けたり、会話をする中で自分の認識がだいぶ違っていたことがわかりました。それまでは言葉遣いであったり所作であったり、その一挙手一投足が『綺麗で丁寧』であることが一流だと思ってたんですよね。でも、すごく親しみのある接客だったんですよ。いい意味でカチッとしてなくて、形式ばってなくて。それもすべてが自然なんですよ。そういう接客ってこちらが安心できるし、心地いいんですよね。またそんな接客ができる人に対しては、どんな場面においても『 この人だったら、こっちの要望に応えてくれるかも』っていう期待感も沸くんです。そこにはちゃんと目配りや配慮がされていて、そして実際に応えてくれる。これが一流なんだと感じました」成田のモットーである「頭で考えるな。感じに行け」を、まさに地でいくようなエピソードだ。伝説のアクション俳優、ブルース・リーが映画の劇中につぶやく名言として知られる「考えるな。感じろ(Don't think. Feel.)」を彷彿させるこの行動指針は、その後の仕事のあらゆる局面で活かされ、接客業を生業とする成田を大きく成長させた。

「この仕事をしていて嬉しいのは、お客様から思わぬ言葉をかけられたときです。ある方は『成田さんのせいで眼鏡のことが好きになった』と言ってくださった。ちょっと皮肉も入ってる感じでね(笑)。それと別のお客様からは『わたしがいつもこの店で眼鏡を買うのは、スタッフがみんな楽しそうに働いてるからだよ』と。それって店づくりにおいてすごく大事なことだなって心底思うんです。うちのような店に眼鏡を買いに行くことは、ある意味非日常の時間なんですよ。いつでも味わえる時間じゃない。だからこそ、その時間を楽しんでもらうのがこちらの仕事。そういう環境をつくるには、まず僕自身が率先して仕事を楽しむことだと。『仕事なんだから楽しんでばかりじゃダメだろ』って思う人もいるかもしれませんが、僕の考え方はまるで逆。こちらが楽しんでこそ、お客様に楽しんでもらえると思ってます」。


PROFILE

成田将也/Masaya Narita

岐阜県多治見市出身。地元の大学を卒業後、眼鏡店に就職。プライベートで通っていた『COMPLEX 名古屋店』店長(当時)の東野英生から声をかけられ、2005年『FACIAL INDEX NEW YORK 名古屋店』のオープニングスタッフとして金子眼鏡に入社。現在はエリアマネージャーとして『金子眼鏡店 南船場店』と『金子眼鏡店 グランフロント大阪店』の店長を兼任する。