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金子眼鏡と 仕事と 人と

2022.04.20

エリアマネージャー/

金子眼鏡店 名古屋店 店長

菅原絵理


 


菅原絵理
2003年3月。金子眼鏡が直営事業の展開をスタートさせてまだ間もないこの創生期、『COMPLEX名古屋店』が名古屋市内最大のショッピング街である栄地区で開業した。この業態は当時、若年層に対しファッションとしてのアイウエアを提案するために開発された店舗であるが、その後の金子眼鏡の名古屋における出店遍歴は実にせわしなく、2005年にはCOMPLEX名古屋店から5分圏内の場所により上質な空間とサービスを提案する『FACIAL INDEX名古屋店』をオープン。その後、2010年代になると街の開発の流れに乗りながら名古屋駅エリアや郊外SCにも複数出店するなど、金子眼鏡にとって名古屋は、東京や大阪と並ぶ重要な拠点エリアの一つとなっていく。
2009年の春、のちにその重要拠点を象徴する店舗を任される女性が、京都から名古屋へ移り住み、FACIAL INDEX名古屋店にアルバイトとして入社した。それが、現在『金子眼鏡店 名古屋店』の店長を務める菅原絵理だ。

菅原は北海道旭川市出身。中学時代から絵が好きで、高校に進学したあとも美術部に在籍して油絵に熱中。卒業後も先生から美術を学べる大学への進学を勧められた。「1浪2浪を覚悟で東京とか大阪の芸大に行くことも考えたんですが、ふと『そこまでするほど油絵が好きか?』っていう疑問が湧いて(笑)。考えた結果、とりあえず道内で美術を専攻で学べる大学にと」彼女が選んだのは、北海道教育大学旭川校・芸術文化課程・美術コース。ここで油絵を専攻し2004年に卒業を迎えたが、ときは就職氷河期のさらにどん底。ましてや大学で学んだ絵の技術を生かせる仕事を探すのは困難で、大学4年生のときからアルバイトとして働いていた旭川市内の人気カバンブランドの直営店舗で卒業後も世話になることになった。「当時から人気ブランドだったので、商品も次々売れていたこともあり、接客業の楽しさもここで初めて知ったんです。でもこれをずっと自分の仕事にするつもりはなかったので、働きながらハローワークには通い続けました」そこで見つけたのが、染織工芸の刺繍で有名な京都の老舗工業美術呉服業での反物の絵付け職人の仕事。よほどの自信と度胸がなければ足を踏み込むのに躊躇しそうなこの世界に、当時23歳の菅原はひょいと飛び込んだ。
「着物のことはなにも知らないし、なんなら着たことすらない(笑)。でも、絵を勉強してきたし何とかなるかなと思ったんですよね」彼女の強みは、まさにここだ。人生の節目が訪れるたびに、「自分にできるのか?」「できなかったらどうする?」「その後、一体どうなる?」などと思い悩む前に、脳と体が動いて行動がともなう。ここまでの道のりを「いつもいきあたりばったりで、モラトリアムのかたまりのよう」と嘲笑する菅原だが、はたから見ていると、人並み外れた度胸と筋を通す力を持っているように思える。実際、彼女が飛び込んだ京都呉服の工業美術の世界は、想像通り生易しい仕事場ではなかった。それでも、同期や後輩が早々に辞めていく中でおよそ5年間働いた。
金子眼鏡店 名古屋店メガネ 菅原絵理

「伝えること」にも技術がある。

京都を引き払い、名古屋へ移住した菅原が面接を受けたのがFACIAL INDEX名古屋店。晴れてアルバイト採用となり、「眼鏡販売職」という未知の世界で一からのキャリアが始まった。菅原の入社面接を担当し、採用を決めた当時の上司・山田修平は、その後10年間に渡って菅原のそばで成長を見守ってきた人物だ。「最初に経歴を見て、北海道から京都、京都から名古屋となっていたのでフットワークが軽い人物だなという印象でした。で、実際働いてみると芯が強くて、自分をしっかり持っている感じで。しかも仕事の吸収力も人一倍ある。でも当初は接客の場面になると苦戦するところがあった。すごく緊張してるのが見てとれた。それでも自分が知る限り悩んで立ち止まるとか、停滞してる場面を見たことはないですね」
接客、フィッティング、加工、検査。これが店舗業務における4本柱だ。そのすべてに積極的に取り組む菅原の吸収力・技術力はとにかく群を抜いていたと、上司も認めていた新人時代。「一つ何かを教えてもらうごとにコツをつかめて、理解していく過程を感じられたので、仕事がどんどん楽しくなっていきましたね」ただ、しばらくの間は社員になることを躊躇した。自分にはまだ早いと感じていたのと同時に、この仕事をずっと続けていく覚悟が自分にあるかどうか確信が持てなかった。そして、絵の技術を生かしたものづくりの世界に戻れるチャンスがいつか訪れるという希望も、完全には捨てきれていなかった。しかし、仕事に対して心が揺れているときに限って、いい客との出会いがあり、前向きになれる言葉をかけてもらえた。そのつど、やっぱりこの仕事こそ自分に向いているかもと思えるようになり、心の揺れは止まった。
アルバイト入社して1年後の2010年、その後の菅原に大きな影響を与える出来事があった。それは、出店先の施設が開催する接客のロールプレイング大会。一流ブランドショップ約150店舗のプロのショップ販売員が参加する大規模な大会である。ここでも、一般的なアルバイトならば参加を避けたいこのような大会を持ち前の度胸と開き直りで出場した菅原は、なんとここで準優勝を獲得して周囲をあっと驚かせた。くどいようだが、当時の菅原は入社1年のアルバイトだ。
菅原絵理

手にした技術と、芽生えた覚悟。

菅原はこの大会の前に行われた参加者向けの講習会で、重要なことに気づいた。「それまではお客様とお話しすること自体が楽しくて、接客はその延長線上にあるという感覚だったんですが、その上で『ちゃんと伝える』ための技術があるんだってことに気づきました。商品のバックグラウンドだったり、職人のものづくりの真価だったり、そういったことをお客様に楽しんでもらいながら伝える技術を知ってから、練習と実践を繰り返すたびに接客という仕事がどんどん面白くなっていきましたね。そういった意味では、この大会は大きな転機になったなと思います」その頃の菅原について、上司の山田も「なにか“パチン”とスイッチが入ったように、本来の接客に目覚めた感じでしたね。大会のあとは見違えるように変化していきました」と当時を振り返る。
2014年、入社5年目で正社員に登用。そして2年後の2016年3月 FACIAL INDEX名古屋店の移転オープンのタイミングで金子眼鏡店 名古屋店の店長に昇格した。「最初そのお話をいただいたとき、自分が店長になるなんて思ったことは微塵もなかったので、『え、私が?』という気持ちでした。でも、そんな声をかけていただいたのは嬉しかったし、純粋にいいチャンスをいただけたと思えたので、ありがたく引き受けました」これからは入社以来自分を見続けてくれた上司から離れ、頼りの綱が無くなることになる。それでもやると決めたのは、新人の頃、正社員登用をためらっていたときにはなかった『この場所でやっていく』という覚悟が芽生えたから。
「金子眼鏡が名古屋に初めて出店して今年でもう20年目になるんですよね。あれから街もだいぶ変わりましたし、それと一緒に名古屋エリアには金子の直営店も増えました。このお店はオープン以来、顧客様との長いお付き合いが続いてるので、皆で和気あいあいと和やかに眼鏡選びを楽しんでいただける雰囲気があるんですが、そこにはやはり当たり前のことを丁寧にしっかりやることは大前提。20年という時間の中で歴代の先輩方が一歩ずつ築き上げてきたものはすごく大きいです。その思いを大事にして、これからもたくさんのお客様に来てもらえるようなお店づくりをしていきたいですね」


PROFILE

菅原絵理/Eri Sugawara 

北海道旭川市出身。高校卒業後、北海道教育大学旭川校・芸術文化課程・美術コースで油絵を専攻。卒業後、2005年に京都の工業美術呉服業者に入社。反物の絵付け職人として技術を磨きながら、5年間従事。退職後、名古屋へ移住してFACIAL INDEX名古屋店にアルバイト入社。2014年、COMPLEX名古屋店(現 金子眼鏡店 名古屋店)に異動となり、2016年3月から現店舗の店長を務める。