金子眼鏡店 京都店
2006年12月。京都市中京区御幸町通蛸薬師下るの発掘調査で、水晶を削って作られた江戸時代中期(17世紀後半)のレンズが見つかった。これは当時老眼鏡として使われていたものとみられ、長年土中に埋もれていたにもかかわらず、傷一つなかったという。17世紀後半に出版された京の案内書『京雀跡追』には、発掘調査が行われた箇所の付近には眼鏡屋があったことが記録されており、さらにそこから調べていくとその眼鏡屋は玉屋吉兵衛という人物が営んでいた店ということがわかった。
日本に眼鏡が登場したのは、室町末期(15世紀後半)。戦国時代の武将・大内義隆がフランシスコ・ザビエルから眼鏡、望遠鏡の献上を受けたなどの記録があるように、眼鏡はポルトガルから渡来した。それ以降、国内では伝統的な玉作(たまつくり ※宝飾品としての玉の製造)を生業とする玉工師(たますりし)が、次々と眼鏡玉の磨き職人(眼鏡師)に転身をはかり、古くから京都で細々と伝承されてきた玉磨の技術が、眼鏡レンズ研磨という新たな分野でふたたび脚光を浴びることになる。また江戸中期になると、京都、大阪、江戸において玉工師による水晶眼鏡レンズの研磨が普及し、高い技能を持った眼鏡師が次々と現れた。冒頭に先述した水晶のレンズは、まさにその時代の延長上にうまれたものだ。
このように、眼鏡師たちがここ京都で技術を競い合っていた時代から、およそ300年後の2007年。レンズが発掘されたまさにその場所で産声をあげたのが『金子眼鏡店 京都店』である(※開業当初は『COMPLEX+京都店』)。金子眼鏡がここに出店を決めたのは、件の発掘調査が行われる前。ましてや江戸時代、ここに眼鏡屋があったことなどまったく知らなかった。これを運命的と表現するのは少し大げさかもしれないが、ただの偶然で片付けることもできない。長い時を経て、「眼鏡」という道具を媒介に引き寄せられたと考えたとしても、決して的外れではない。
魅力的な街並みと、歩幅を揃えて。
『金子眼鏡店 京都店』の住所は「京都市中京区御幸町通蛸薬師下る船屋町378」。他府県で暮らす人たちには、一見難解に思えるこの住所。しかし地元に住むほとんどの人は、これが京都市のどの場所を指すのかすぐに見当がつく。京都市内を南北に走る御幸町通り。その名の由来は豊臣秀吉が禁裏御所に参内するときに利用したことからとも、天子が御幸になることからとも言われているという。そこに交差し東西に走る蛸薬師通りから京都御所を背中に「下がる」と金子眼鏡店 京都店にたどり着く。1200年以上前、都として碁盤の目に整備された平安京であった京都の歴史を、この住所からも色濃く感じられる。店がある界隈に入ると、まちの雰囲気も先ほどまでの喧騒からは一転。通りを一本入っただけで、どこか静謐な「京都らしさ」が漂い、都会的な空気と生活区のようなローカル感が同居する心地いい場所だ。
京都の景観条例に則り、町家の伝統意匠を独自のアプローチと解釈でデザインした店の建物は、まるで昔からそこにあったかのように街並みに溶け込んでいる。庇(ひさし)や格子、屋根はアートとして扱い、特にコールデン銅製の庇の先端にはガラスのメダリオンを挿入。さりげなく斬新なディテールをしのばせ、それは時代が変わり令和になった現在でも不変的な魅力を放っている。
京都は昔ながらのものづくりの職人が働き、住み着く街である。また彼らの高い技術の恩恵を受け、職人仕事に対し理解が深く目も肥えた人々が暮らす街。それが京都だ。そんな土地で『金子眼鏡店 京都店』が産声をあげてから今年で16年が経つ。
まちの歴史を思えば、まだまだ新参者だ。京都に数多ある職人の技術と精神性を何よりも大切にする店の一つとして、いつでも胸をはっていられるように。300年前に眼鏡づくりが行われていたという縁と結びついたこの場所で、自分たちの歴史を少しずつ積み重ねていく。
SHOP INFO
金子眼鏡店 京都店
京都府京都市中京区御幸町通蛸薬師下る船屋町378
ステラ御幸町 1F
TEL : 075-254-7219
営業時間 : 11:00〜20:00
※参考資料/
砥粒加工学会誌 『球体の話 第一話』 (柴田順二 著・2011年)
日本に眼鏡が登場したのは、室町末期(15世紀後半)。戦国時代の武将・大内義隆がフランシスコ・ザビエルから眼鏡、望遠鏡の献上を受けたなどの記録があるように、眼鏡はポルトガルから渡来した。それ以降、国内では伝統的な玉作(たまつくり ※宝飾品としての玉の製造)を生業とする玉工師(たますりし)が、次々と眼鏡玉の磨き職人(眼鏡師)に転身をはかり、古くから京都で細々と伝承されてきた玉磨の技術が、眼鏡レンズ研磨という新たな分野でふたたび脚光を浴びることになる。また江戸中期になると、京都、大阪、江戸において玉工師による水晶眼鏡レンズの研磨が普及し、高い技能を持った眼鏡師が次々と現れた。冒頭に先述した水晶のレンズは、まさにその時代の延長上にうまれたものだ。
このように、眼鏡師たちがここ京都で技術を競い合っていた時代から、およそ300年後の2007年。レンズが発掘されたまさにその場所で産声をあげたのが『金子眼鏡店 京都店』である(※開業当初は『COMPLEX+京都店』)。金子眼鏡がここに出店を決めたのは、件の発掘調査が行われる前。ましてや江戸時代、ここに眼鏡屋があったことなどまったく知らなかった。これを運命的と表現するのは少し大げさかもしれないが、ただの偶然で片付けることもできない。長い時を経て、「眼鏡」という道具を媒介に引き寄せられたと考えたとしても、決して的外れではない。