函館市末広町。冬の朝、店舗の前と駐車場の雪かきをすることから、この店の1日は始まる。風情が香る古建築や教会群が建ち並び、どこを切り取っても絵になる坂の街。その中心地区を貫くように通る二十間坂(にじゅっけんさか)の中腹の角地に『金子眼鏡店 函館店』がある。1998(平成10)年に開業し、今年で24年目を迎えるこの店は、金子眼鏡にとって特別な場所だ。
函館店の前身は『FACIAL INDEX SPECTACLES』。意外に思う人が多いかもしれないが、ここが金子眼鏡にとって初の直営店である。「なぜ最初に函館で店舗を構えたのか?」おそらく現代表の金子真也をはじめ、多くの社員たちはあちこちでこの質問をされてきたはずである。
この会社がまだ卸問屋専門だった1980年代、20代後半だった金子は創業者の父・鍾圭が切り拓いた北海道の営業ルートを引き継ぎ、大小ありとあらゆる眼鏡・時計の小売店への営業まわりに奔走した。その営業活動の拠点にしていたのが函館だった。1回の北海道への出張行程は13泊14日。函館駅からほど近い大森町にあった『登喜和旅館』を宿に、駅前の貸ガレージに置いてある福井から持ち込んだライトバンを足に、渡島・檜山管内の小売店を隈なくまわりながら北上。営業先で門前払いされたことは数知れず、孤独と隣り合わせの日々だった。しかし何度も北海道を訪れて必死に営業した結果、取引先が増え、人脈が広がり、セールスはようやく軌道に乗った。やがて、定宿の旅館のそばにあった古びたアパート『コーポ東商』の1室を借り、リサイクルショップで買ってきた中古の事務机をこしらえて、2人の従業員を雇って初の地方営業所を構えた。この小さな拠点こそ、現在全国に展開するすべての店舗にとってのルーツであり、やがて初の直営店開業に向けての準備室へと姿を変えていく。
1990年代に入り、かねてから卸問屋専業からの脱却をはかりたかった金子は、自社のオリジナルブランド『BLAZE』(ブレーズ)や『SPIVVY』(スピビー)を立ち上げ、やがて直営店をつくりたいと考えるようになった。自分たちの商品だけで埋め尽くされた城をもち、直接ユーザーと向き合い、眼鏡というアイテムを一緒に楽しみたい。きっとわかってくれる人はいる。わかってくれる人たちと出会いたい。頭の中にそんな夢を描いたとき、最初に店を構えるなら福井でも東京でも大阪でもなく、直感的に函館がいいと感じた。港が見えて、そこには多くの船が行き交い、海の街で暮らす人々の営みがある。そんな函館の原風景を感じられる土地に店をつくりたいと強く思った。そこで白羽の矢を立てたのが函館の歴史的街並みが残る西部地区に位置する現在地だ。ここに店を出そうと決めたとき、地元の社員や知り合いからは猛反対された。「人通りの多い駅前中心部がいい」「どう考えても商売に向いてる場所じゃない」etc。ただ、金子にしてみれば、そんなことは重々承知の上だった。営業という仕事を通して隈なく街を歩くことで、地元民以上に地域に精通していた自身の直感であった。
函館店は、売れるか・売れないかという観点でつくった店ではない。また、こうすれば売れるというロジックや計算すら介在せず、金はないが夢だけはあった若き金子真也にとって自分がやりたいことを、やりたい場所でやると心に決めてつくった店だ。同時にそれは金子なりのイノベーションで、交通を含めたさまざまな利便性よりも店や商品の魅力が勝り「その眼鏡がほしいから、その場所までわざわざ足を運ぶ」という、これまでにない店づくりの指針となるべき存在ととらえていた。
そして1998年。後にオープンすることとなる『FACIAL INDEX NEW YORK』のNY・ソーホーや東京・丸の内より先駆けて、金子眼鏡にとって初めての城が、函館・末広町に誕生した。
24年のときを刻んだ、街の顔。
2022年、函館店が誕生して24年の月日が流れた。店づくりのフォーマットなど存在しなかった時代にゼロからつくられたこの第1号店は、いまや全国どこの直営店舗にもない独特の雰囲気がある。金子が情熱溢れるままに書いた店のラフスケッチを、地元の大工に頼み込んで形にしてもらったその空間は、荒削りながら手づくりのあたたかさに満ちている。店内で使われている棚やストックケースも地元の家具づくりの名人に格安でつくってもらったオーダーメイド品。このような什器をつかっている直営店舗は、他にはない。函館店は口コミによって時間をかけて広まっていった店だ。開業当時は金子眼鏡のオリジナルブランドであるBLAZEも SPIVVYも全く知名度がないため、ほとんどの客とは認知も情報も何もないところからの付き合いだった。無名の「街の眼鏡屋」として地域の人々と向き合う日々。それでも多くの人たちの支持を得たことで、24年目の今となっては、この場所に金子眼鏡店があって当然の風景であり、街並の一部となった。
かつてここを訪れて眼鏡を購入した若者たちが、やがて結婚して子どもが生まれ、今度は成長したその子どもに眼鏡を買う姿があった。また30代の女性客が「10代の頃から憧れていた店にようやく来られた」と初めて来店し、目を輝かせながら眼鏡を買う姿があった。24年という年月は、まさに街の人と一緒に刻んできた時間。その時間を積み重ねて、熟成の上に完成したのがこの店だ。
「函館は第二の故郷」社長の金子真也は、いまでもそのように断言する。売上が云々、採算が云々。そんな企業論理から離れて「ただただつくりたい」と思ってつくった店。そして一人の若者の情熱と勢いが結晶化し、計算度外視でつくった店。そんな特異な立ち位置にある函館店。のちに全国に店舗を展開していく金子眼鏡のエピソード・ゼロは、この場所に刻まれている。
SHOP INFO
金子眼鏡店 函館店
北海道函館市末広町17-1 フォルム函館二十間坂1F
TEL : 0138-22-3070
営業時間 : 10:29〜19:29
函館店の前身は『FACIAL INDEX SPECTACLES』。意外に思う人が多いかもしれないが、ここが金子眼鏡にとって初の直営店である。「なぜ最初に函館で店舗を構えたのか?」おそらく現代表の金子真也をはじめ、多くの社員たちはあちこちでこの質問をされてきたはずである。
この会社がまだ卸問屋専門だった1980年代、20代後半だった金子は創業者の父・鍾圭が切り拓いた北海道の営業ルートを引き継ぎ、大小ありとあらゆる眼鏡・時計の小売店への営業まわりに奔走した。その営業活動の拠点にしていたのが函館だった。1回の北海道への出張行程は13泊14日。函館駅からほど近い大森町にあった『登喜和旅館』を宿に、駅前の貸ガレージに置いてある福井から持ち込んだライトバンを足に、渡島・檜山管内の小売店を隈なくまわりながら北上。営業先で門前払いされたことは数知れず、孤独と隣り合わせの日々だった。しかし何度も北海道を訪れて必死に営業した結果、取引先が増え、人脈が広がり、セールスはようやく軌道に乗った。やがて、定宿の旅館のそばにあった古びたアパート『コーポ東商』の1室を借り、リサイクルショップで買ってきた中古の事務机をこしらえて、2人の従業員を雇って初の地方営業所を構えた。この小さな拠点こそ、現在全国に展開するすべての店舗にとってのルーツであり、やがて初の直営店開業に向けての準備室へと姿を変えていく。
1990年代に入り、かねてから卸問屋専業からの脱却をはかりたかった金子は、自社のオリジナルブランド『BLAZE』(ブレーズ)や『SPIVVY』(スピビー)を立ち上げ、やがて直営店をつくりたいと考えるようになった。自分たちの商品だけで埋め尽くされた城をもち、直接ユーザーと向き合い、眼鏡というアイテムを一緒に楽しみたい。きっとわかってくれる人はいる。わかってくれる人たちと出会いたい。頭の中にそんな夢を描いたとき、最初に店を構えるなら福井でも東京でも大阪でもなく、直感的に函館がいいと感じた。港が見えて、そこには多くの船が行き交い、海の街で暮らす人々の営みがある。そんな函館の原風景を感じられる土地に店をつくりたいと強く思った。そこで白羽の矢を立てたのが函館の歴史的街並みが残る西部地区に位置する現在地だ。ここに店を出そうと決めたとき、地元の社員や知り合いからは猛反対された。「人通りの多い駅前中心部がいい」「どう考えても商売に向いてる場所じゃない」etc。ただ、金子にしてみれば、そんなことは重々承知の上だった。営業という仕事を通して隈なく街を歩くことで、地元民以上に地域に精通していた自身の直感であった。
函館店は、売れるか・売れないかという観点でつくった店ではない。また、こうすれば売れるというロジックや計算すら介在せず、金はないが夢だけはあった若き金子真也にとって自分がやりたいことを、やりたい場所でやると心に決めてつくった店だ。同時にそれは金子なりのイノベーションで、交通を含めたさまざまな利便性よりも店や商品の魅力が勝り「その眼鏡がほしいから、その場所までわざわざ足を運ぶ」という、これまでにない店づくりの指針となるべき存在ととらえていた。
そして1998年。後にオープンすることとなる『FACIAL INDEX NEW YORK』のNY・ソーホーや東京・丸の内より先駆けて、金子眼鏡にとって初めての城が、函館・末広町に誕生した。