社会において人間関係の構築はたやすいことではない。できることなら自分にも相手にも正直でありたい。しかしその姿勢を貫けば、反発や居心地の悪さが生まれる。だから多くの場合は、言いたいことを胸の奥にしまい、たとえ納得のいかないことでも深く考えないようにすることで、人間関係に平穏やバランスを保つ努力をする。金子眼鏡店グランフロント大阪店のスタッフ・久津谷桃子は、今年で入社 16年目。頑張り屋、プロ意識の強いど根性女、職業人としてのこだわりが強い、まじめ、世話好き、人のアドバイスに耳を傾けて真摯に向き合うetc...これが同僚や上司の久津谷評だ。人間関係においてはときに不器用と思われがちな一方で、それは仕事に対する人並み外れたひたむきさと愚直さのあらわれであり、彼女がもつ類稀な強みでもある。
悩みながら、傷つきながら。
久津谷は京都出身。高校卒業後は、ピアノ調律師を養成する調律学校への進学を望んでいた。しかし周囲から「もっと将来性のある仕事を真剣に考えろ」と真っ向から否定された。結局、進路が決まらないうちに卒業を迎え、自分の未来図に早くも狂いが生じた。とりあえず地元の整形外科医院の事務職に就いたが、それでも調律学校への道を諦めきれず1年半で退職。学校の入学金を貯めるつもりで複数のアルバイトをこなした。しかしゴールが見えない生活をするうちに、本来の目標が曖昧になり、何をしていいかわからなくなった。そのさなかでたどり着いたのが眼鏡業界だった。
「眼鏡は小学生から掛けていました。途中コンタクトレンズにした時もあったけど、高校のときにアクシデントで眼球を傷つけちゃって、コンタクトが使えなくなったのでそれを機に、アルバイトで貯めたお金で初めて自分で眼鏡を購入しました。自分はまわりと比べておしゃれでもなんでもないし、どちらかといえば地味なタイプ。それでも気に入ったセルフレームの眼鏡をかけ始めたら、なんだか少しおしゃれになれた気がして嬉しかったんですよね」その記憶に引き寄せられるように、久津谷は関西に拠点をもつ眼鏡セレクトショップに入社。その販売スタッフとして眼鏡小売業の前線に立つことになった。しかし、その世界は想像していた場所とだいぶ違った。上司に対して毅然と反論をすると、ただの口ごたえと捉えられ「生意気なスタッフ」の烙印を押された。それでも眼鏡が好きで、仕事自体は楽しいと感じられたので、自分がやるべきことと真正面から向き合った。「接客も一から十まで教えてくれるような体制じゃなかったので、正解も根拠もわからないまま探り探りやっていた感じでした。それがまた不安になって、どんどん大きくなって。でもやめるのが怖かったんです。やめたら自分の居場所を失うみたいに思ってたので」仕事を続けるうち、次第に夜も眠れなくなり自律神経を崩した。自覚症状はなかったが、肉体的にも精神的にもとっくに追い込まれていた。
取り戻した、自分の居場所。
退職後、1年間の休養期間を経て就職活動を始めた久津谷。転職サイトでエントリーしたのが金子眼鏡だった。「前職の店舗が、 関西圏では派手に存在感を示していた店だったし、世間は狭いので同じ眼鏡業界に戻ることは正直躊躇しました。でも 1 年間の休養期間は、外とのつながりをほとんど断っていたので居場所がなかったんですよね。だからこのときは、就職したいとか眼鏡業界に戻りたいというより先に、外とのつながりを取り戻したいという一心で応募しました(笑)」このとき金子眼鏡が募集していたのが、間もなく開業する『COMPLEX+京都店』(現 金子眼鏡店 京都店)のオープニングスタッフ。久津谷の面接は代表の金子真也が自ら行った。面接も終盤にさしかかり、 一通り話し終えたあと「久津谷さんは本当に眼鏡が好きなんだね」と金子が嬉しそうに言ったその瞬間を、久津谷はいまでもよく覚えている。無事内定をもらい、自分の居場所がまたできたという事実にひとまず安心した。
久津谷が金子眼鏡に入社し、販売員として店頭に立って本領を発揮したのが接客における日常会話の「引き出し」の多さ。特に文化的で知的な趣味の分野に関心が高く、そんな彼女とプライベートな話題を通じて距離が縮まり、長年の顧客になった人々は国内外問わず数多い。「接客というのは、ある意味その時間を通じてお客様の人柄に触れる機会だと思ってます。用途や使用場面を訊くうちに趣味趣向を知ることもできたりして、商品と直接関係ない話で盛り上がるということがよくあります。お客様に教えてもらった本を買って読んだり、おすすめされた郷土料理屋さんに実際に行ってみたり、教えていただいた物事や場所には極力アクセスするようにして、調整で再来された時にその感想を交えた後日談をしたり。それを繰り返していたら、名前は覚えてなくてもお顔で分かるおつきあいをしてくださる方が少しずつ増えたように思います」また、彼女の特性である「こだわりの強さ」がひときわ発揮されているのがフィッティング(調整)の場面だ。久津谷本人も、その技術に対しての重要性を誰よりもいだいている。
「仕事に関してはどれも大切な業務だと思いますが、特に調整の技術を大切に考えています。入社して数年間は調整の未熟さを何度も指摘されました。上司から『深く観察しているのか』と繰り返し問われるうちに、調整という仕事に対する自分の解像度がおそろしく低かったということがわかりました」それからは技術の未熟さを実感し、実践とフィードバックを繰り返しながら技術を磨き続けた。さらに、細部にわたって「こうしたい」「こうあるべき」といった強い思いが微細な調整技術につながり、いまやフィッティングを目的に来店する客の中には久津谷のシフトを確認してから来る人々も多いという。
一方で、久津谷の強みである接客やフィッティングなどにおける「こだわりの強さ」が、時には集中するあまり店頭業務の全体を俯瞰できなくなることもあった。「自分が若手だった頃は、販売や接客など目の前にある仕事への対応で精一杯でした。今は後輩が入り中堅の立場になってきたことで、これまでの自分を振り返りながらいろいろと気づかされることが多い日々です」
不器用だけどまっすぐに、正直に、妥協せず。この会社に入り15年の月日が経った。中堅の立場になり、これまで何度も壁にぶつかっては乗り越えてきた経験を後輩たちに伝え、育てる日々。そして久津谷自身も、今日も何かに自問自答しながら向上心をもって現場に立っている。
久津谷は金子眼鏡の理念のひとつにある「アイウェアを通して人々の文化的生活の向上に寄与する」という言葉に深く共感を覚えるという。客が理想の眼鏡と出会うまでの架け橋になることだけでなく、自分が提案した眼鏡がきっかけでその人の生活が快適になり、前向きになり、楽しくなる。一本の眼鏡が与える生活への好影響が大きければ大きいほど心から思う。「この仕事をやっていてよかった」と。
PROFILE
久津谷桃子/Momoko Kutsutani
京都府京都市出身。高校卒業後、地元の整形外科医院に事務職で就職。その後、関西に拠点をおくメガネ専門店に転職し、店舗の販売業務に就く。ここでおよそ 3 年経験を積み、1 年間の充電期間を経て金子眼鏡株式会社に入社。『COMPLEX+京都店』(現 金子眼鏡店 京都店)に配属 されたのち、関西エリアでの異動を経て、2019 年から現在までは『金子眼鏡店 グランフロント大阪店』に所属する。