THE STAGE
江戸から明治にかけて、日本の流通・経済の中枢を担う商工都市として繁栄を極めた大阪。やがて大正に入り、大阪市は2度の市域拡張によって人口約211万人という日本最大の都市となる。人々は、そんな街を「大大阪」と誇りを持って称した。この「大大阪」時代、金融街として栄えた地区が船場であり、その北に位置する淀屋橋だ。江戸時代からここには数多くの商家があったが、建物は時代とともに近代化され、施主の意向や趣味嗜好を反映した鉄筋コンクリート構造の最新ビルディングへと姿を変えていった。そしておよそ100年後の現在でも、その頃に建てられたビルは数こそ少なくなったが存在する。
その一つである『芝川ビル』は、江戸後期から続く商家で貿易商と不動産業で財をなした芝川家6代目当主・芝川又四郎が、1927(昭和2)年に建てた鉄筋コンクリート造オフィスビル。華やかなりし「大大阪」時代の空気が建物全体に染み込んだ、日本近代史の生きた資料のような存在だ。2008(平成18)年8月、そのビルの1Fの3ルームをまたぐように金子眼鏡店の新店が誕生した。
現在、この店の店長を務める十河敦史は「平日と土日で客層がガラッと変わる店ですね。平日はこのあたりでお仕事をされている方々がフラッと寄ってくださることが多いです。週末や日曜日は、平日に来られない方々がわざわざここを目指して来られます。遠方からはるばる来られる方も。その方々と商品をつないだり、作り手の思いを伝えるのは私たちの接客一つ。なによりもお客様とのコミュニケーションを第一にしています」と語る。
その店の名は『THE STAGE』。ここは金子眼鏡にとって全国数多ある店舗の一つ、という位置付けではない。
「自分たちの原点とは何か?とか、これまで何をしてきてこれから何をすべきなのか?とか、その当時いだいていた多くの疑問や課題と向き合った結果、この場所が生まれました。わたしとしては、いまだに芝川ビルに『出店した』という意識がないんです。もっと言えば、店舗だとも思っていない。じゃ一体ここは何なのか。適当な表現がまだ見つからないんですよね」この店の生みの親である現代表・金子真也が語る、店のようで店じゃない特別な場所『THE STAGE』。その誕生にいたる背景と、オープンから14年が経った現在地について触れていく。
『THE STAGE』が生まれる2年前の2006(平成16)年、金子真也の心は揺れ続けていた。バブル崩壊の余波で眼鏡製造の主導権は低コストで生産できる中国に奪われ、鯖江市での受注は大幅に減少。産地の工場はどこも経営危機に直面していた。そこに深刻な人手不足と後継者不足が、さらにその上から職人の高齢化がのしかかった。すでに全国展開していた店舗経営も、価格破壊を背景にしたメガネブームが逆風となって襲いかかり、売上は低下。この苦難の状況の中、金子は鯖江という地でメイド・イン・ジャパンの眼鏡を提供することは自分たちにとっての生命線であり信念であるという確信のもと、廃業した眼鏡工場の空き家を借りて職人の育成を兼ねた名もなき工房を立ち上げる。金子眼鏡の歴史において、初めての『ものづくり』が始まったのはそんな逆境のさなかだった。「本当に苦しかったんですが、ものづくりの文化をつながなきゃいけないという点においては、使命のような強い気持ちがあったんです。あとは、自分たちで眼鏡をつくるという『舞台裏』と、その思いを表現して伝えるという『表舞台』をどうやって生み出していこうかと考えた数年間でした」名もなき工房を立ち上げた2006年。自分たちが原点に立ち返り伝えるべきことを伝える場所として『THE STAGE』をオープンさせた2008年。そして本格的な自社工場『BACKSTAGE』が竣工となった2009年。金子眼鏡にとってその3年間は、苦しみの中から答えを導き出し、それを形にした年月だった。
店のようで店じゃない場所。
金子が「ものづくりの原点に立ち帰り、その文化を継承していく」と決意した時代。その重要拠点となる『THE STAGE』誕生のきっかけは2007年に訪れた。当時、懇意にしていた不動産仲介業の知人から「大阪に金子さんが好きそうな場所があるよ」と紹介され、足を運んだのが芝川ビルだった。初めて見るなり、築およそ100年という時間を重ねてもなお輝く存在感に圧倒され、その輝きの奥にある歴史の重みと強さに鳥肌が立つほど感動した。そして、ものづくりを生業とする一人の人間として奮い立たされた。
「自分たちがすべきものづくりの継承も、この芝川ビルのように100年続けていきたいと思いました。それも、褪せることのない魅力と強さを持ったまま。鯖江の眼鏡づくりも明治後期に始まったので、その頃ちょうど100年を超えたタイミング。運命的なものを感じました。100年の歴史の重さと強さを持ったこの場所で、金子眼鏡が同じ100年の歴史を背負った眼鏡づくりの継承を伝えていきたい。本気でそう思ったんです」
経営に思い悩み、鯖江の未来を憂い、苦しみながらつくったこの場所。格式ある芝川ビルにマッチした内装を熟考し、什器一つから、細かな塗装やエイジング加工にいたるまで、考えに考え抜いた。だからこそ金子にとっては愛しくて、思い入れは深い。こうして金子にとって建物のカルチャーと金子眼鏡のカルチャーが交錯してシンクロを起こす空間であり、作り手と客の架け橋になる『表舞台』となったTHE STAGE。金子自身「店舗だと思っていない」と語る、店のようで店ではない場所。もしかすると、売れるか売れないかの尺度では到底計り知ることのできない『魂を売る場』なのかもしれない。
SHOP INFO
THE STAGE
大阪府大阪市中央区伏見町3-3-3 芝川ビル1F
TEL : 06-6204-5280
営業時間 : 11:00〜20:00
月曜定休
その一つである『芝川ビル』は、江戸後期から続く商家で貿易商と不動産業で財をなした芝川家6代目当主・芝川又四郎が、1927(昭和2)年に建てた鉄筋コンクリート造オフィスビル。華やかなりし「大大阪」時代の空気が建物全体に染み込んだ、日本近代史の生きた資料のような存在だ。2008(平成18)年8月、そのビルの1Fの3ルームをまたぐように金子眼鏡店の新店が誕生した。
現在、この店の店長を務める十河敦史は「平日と土日で客層がガラッと変わる店ですね。平日はこのあたりでお仕事をされている方々がフラッと寄ってくださることが多いです。週末や日曜日は、平日に来られない方々がわざわざここを目指して来られます。遠方からはるばる来られる方も。その方々と商品をつないだり、作り手の思いを伝えるのは私たちの接客一つ。なによりもお客様とのコミュニケーションを第一にしています」と語る。
その店の名は『THE STAGE』。ここは金子眼鏡にとって全国数多ある店舗の一つ、という位置付けではない。
「自分たちの原点とは何か?とか、これまで何をしてきてこれから何をすべきなのか?とか、その当時いだいていた多くの疑問や課題と向き合った結果、この場所が生まれました。わたしとしては、いまだに芝川ビルに『出店した』という意識がないんです。もっと言えば、店舗だとも思っていない。じゃ一体ここは何なのか。適当な表現がまだ見つからないんですよね」この店の生みの親である現代表・金子真也が語る、店のようで店じゃない特別な場所『THE STAGE』。その誕生にいたる背景と、オープンから14年が経った現在地について触れていく。
『THE STAGE』が生まれる2年前の2006(平成16)年、金子真也の心は揺れ続けていた。バブル崩壊の余波で眼鏡製造の主導権は低コストで生産できる中国に奪われ、鯖江市での受注は大幅に減少。産地の工場はどこも経営危機に直面していた。そこに深刻な人手不足と後継者不足が、さらにその上から職人の高齢化がのしかかった。すでに全国展開していた店舗経営も、価格破壊を背景にしたメガネブームが逆風となって襲いかかり、売上は低下。この苦難の状況の中、金子は鯖江という地でメイド・イン・ジャパンの眼鏡を提供することは自分たちにとっての生命線であり信念であるという確信のもと、廃業した眼鏡工場の空き家を借りて職人の育成を兼ねた名もなき工房を立ち上げる。金子眼鏡の歴史において、初めての『ものづくり』が始まったのはそんな逆境のさなかだった。「本当に苦しかったんですが、ものづくりの文化をつながなきゃいけないという点においては、使命のような強い気持ちがあったんです。あとは、自分たちで眼鏡をつくるという『舞台裏』と、その思いを表現して伝えるという『表舞台』をどうやって生み出していこうかと考えた数年間でした」名もなき工房を立ち上げた2006年。自分たちが原点に立ち返り伝えるべきことを伝える場所として『THE STAGE』をオープンさせた2008年。そして本格的な自社工場『BACKSTAGE』が竣工となった2009年。金子眼鏡にとってその3年間は、苦しみの中から答えを導き出し、それを形にした年月だった。