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金子眼鏡と仕事と人と

2024.08.10

金子眼鏡店自由が丘店 副店長
小林佐和子



 


小林佐和子_1
金子眼鏡は、サービス業チェーンにありがちな画一的なマニュアルを採用していない。接客業としての基本的な言葉遣いや立ち振る舞い方、眼鏡にまつわる知識の徹底は図っているが、お客様へのアプローチ方法や対話の進め方などは百人百様で良いと考えている。それは、お客様の価値観や嗜好性、満足感に至るプロセスもまた、一様ではないからだ。
そんな金子眼鏡で自らの活躍場所を見出した一人が、自由が丘店の小林佐和子だ。小林の人生遍歴は曲がりくねった迷路のようだが、さまざまな経験を経たことが彼女の人間力の幅を広げ、代わりのきかない個性を形成した。人生にムダな経験など一つもないのだなと感じさせてくれる、希有な存在でもある。
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ジェットコースターのような歳月

物心ついた時から、家族は父親と自分の二人だけだった。お風呂のない木造アパートに住み、銭湯が閉まったときは、たらいで身体を洗ってもらった。質素な生活だったが、大好きな父親と一緒に生きていけば安心だと思えた。
父親が不在で留守番が懸念された幼少期には、たびたび近所のお宅に預けられた。幼いなりにも気を使い、迷惑をかけてはいけないと行儀良く過ごし、ご飯の後片付けも率先してこなした。周囲の人の目を、いつも気にしていた子ども時代だった。
ともかく一人きりの退屈な時間が大嫌いで、何かに熱中してやり過ごすことに執着した。実習の授業が多い工業高等学校への進学を選んだのも、座学の時間が苦手だったから。それだけでは飽き足らず、生徒会の会長に立候補し、生徒の多くを占めていた男子の票を集めて当選。高校生活を慌ただしくやり過ごすことを、あえて選んだのだった。
卒業後は飲料メーカーに就職、品質管理の部門に配属されて終日シャーレと向き合った。寡黙なルーチンワークや、定時で退社した後の退屈に耐えきれず、「何か面白いことがしたい」と選んだのが夜のアルバイト、水商売の仕事だった。お客との対話も楽しめたが、それにも増して小林の心を捉えたのは、先輩女性たちの自由奔放な姿だった。
「どこの星からやってきた宇宙人だろう」と思えるほどキャラ立ちしたお姉さん揃いで、型にはまらない彼女たちの生き様を人物観察しながら、「世の中には、こんなにも多様な人間がいるんだ」と思い知らされた。自らの境遇にちょっぴり引け目を感じていた小林が、「他人の目を気にしなくても良いんだ。私は私で良いんだ」と思えた、貴重な体験だった。

二十歳も過ぎたし、そろそろ昼間の仕事ができる大人にならなきゃ。そんなことを考えていた時に、生徒会時代の後輩から声をかけられたのが眼鏡店の仕事だった。大手眼鏡チェーンの埼玉県内の店舗で働き始め、眼鏡を替えることで見た目の印象が変わることを知って、給料をもらうたびに眼鏡を新調、以前とは違うキャラクターに変身できる愉しみを覚えた。
だがその矢先、23歳のときに父親が突然他界してしまう。唯一の肉親を亡くして天涯孤独となった小林は「この世の終わりだ」と絶望。現実と向き合うのがあまりに辛く、不眠不休で働かされるような仕事に就くことで毎日をやり過ごしたい心境になり、テレビ番組制作会社のADに応募。ハードワークをこなすうちに体調を壊して1年でリタイアし、「またウチにおいでよ」と誘われて元の眼鏡店に舞い戻った。
このころ眼鏡業界は安値を売り物にした新興チェーンが台頭し始め、業界地図が大きく変わろうとしていた。小林が勤めていた店も安値で対抗するような品揃えに変化し、ていねいな接客よりも手際の良い客さばきが重視された。誰にでもできる販売マシン、レジ打ちマシンを強いられているように思え、自分の存在が透明に見えるような感覚だったという。
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異なる店での経験が自分を育てた

「もっと自分が活かせる眼鏡店はないものか」。たまたま求人情報で見つけたのが金子眼鏡の「アーバンセレクション」越谷レイクタウン店(現「KANEKO OPTICAL」イオンレイクタウン店)だった。店を訪ねて驚いた。ファッションブランドの名前を借りた仕入商品はなく、大手眼鏡チェーンでも一部取り扱った経験がある金子眼鏡のオリジナル商品ばかりが並んでいたからだ。自社商品だけで勝負する直営店は、かねてから憧れの存在だった。そこで小林は「眼鏡店の経験があります。商品知識もあります。すぐに売れます。即戦力です」と猛烈アピールをして採用された。2010年の秋口のことだった。
社員になったことで、以前にも増して金子眼鏡のものづくりへのこだわりや熱量に精通することができたことは大きな収穫だった。接客を通じてその世界感を伝え、それが届いたと感じられた時の手応えはこれまで味わったことのない達成感で、自分がこの店にいる存在理由がしっかりと認識できるような感覚だった。
当時、越谷で働き始めた小林のことを、金子社長は印象的に記憶している。とてもチャーミングな女性で、いろんな客層のお客とも自然体で接することができる逸材だと。その個性を生かすには、じっくり接客ができる店の方が適しているのではないか。異動を打診された小林は「はい、行きます」と躊躇なく答えた。
異動先に打診されたのは「金子眼鏡店」柏高島屋ステーションモール店。小林が即答したのは、応援要員として同店で働いた経験が少しあったからだ。他の店では見たこともない接客方法を採り入れるなど、どの眼鏡店とも違うやり方だった。この店で新しいスキルが身につき、販売員として一歩高みに導いてくれるような予感がしたのだった。
なかでも、当時の店長からは多くの学びが得られた。喋り方、言葉のチョイス、声の大きさ、抑揚の付け方、表情管理、全てが完璧に仕上がった人に思え、徹底的にその手法を盗んで自分の糧にした。「金子眼鏡に小林佐和子あり」の基盤を形成した店だった。

その後は都心の路面店としては旗艦店に相当する青山店のオープニング(2015年4月)にあたって、「小林のようなパンチのある人間が一人いた方が面白い」という社長の判断で、開店時からスタッフに起用された。小林にとっては初めての都心店、しかも感度の高いお客が集まる店だったが、接客を青山仕様に合わせ込むのは早かった。小林目当てに来店するお客が増え始めたのも青山店からで、続く銀座店、銀座並木通り店でもオープニングスタッフに抜擢され、新店の立ち上げに貢献した。訪日外国人客への対応も、持ち前の屈託のない笑顔の接客で難なくこなした。
一方、金子眼鏡は都心部での出店と並行して、山手線の外側に位置する都市近郊部にも店舗を展開していた。都心部と比べれば客数は落ちるが、2020年に始まるコロナ禍で状況が一変する。在宅勤務が多くなり、都心に出かけるのが躊躇われた時期、人混みがさほど多くない都市近郊部の店舗は、新しい眼鏡を探したい、使っている眼鏡を調整したいというお客にとって格好の受け皿になったのである。小林が現在の自由が丘店に異動したのは、コロナ禍がまだピークにあった2021年3月のことだった。
金子眼鏡店自由が丘店

自由が丘店で辿り着いた決意

自由が丘は、ブティックや美容室などファッション系の店、スイーツ店やカフェ、ビストロなど個人経営の特徴ある店が多く、都内屈指のお洒落な街という定評がある。渋谷や目黒など都心へのアクセスにも便利で、「住みたい街ランキング」では常に上位に挙がる街だ。
「金子眼鏡店」自由が丘店は、人通りの多いバス通りから横道に逸れた、ちょっぴり小上がりの石畳の路地に面していて、駅前の賑わいとは対照的に落ち着いた佇まいを見せる。ロケーションの特徴から、不特定多数のお客が頻繁に出入りする店ではなく、新しい眼鏡を探したい、などの目的意識をもって訪れるお客が多い。広い店内でゆったりと時間をかけてお気に入りの眼鏡を吟味できるタイプの店だ。
「コロナ禍になって、皆さん自分を見つめ直す時間が増えたのだと思います。例えばリモート会議では自分の顔が画面に映るでしょう。日常のなかで鏡を見る時よりも、自分の顔が客観的に見えてくる。もっと柔和な感じの眼鏡にしたいな、もう少し個性をアピールできる眼鏡にしたいな。そんなことを思って新しい眼鏡を探しに来るお客さんが増えた気がします」
小林はお客とじっくり対話を重ね、望んでいるイメージ、その奥にある心情にも寄り添いながら最適な眼鏡との出会いを演出していく。時には、似合う眼鏡が自然と頭に浮かんできて、求められているものとは全く違うタイプのフレームを提案することも。その意外性が面白くて、小林を頼って来店するリピート客も多い。
自由が丘店のような路面店の特徴は、来店客自身が、眼鏡のある暮らしにしっかりとフォーカスできる没入感にある。そして小林がめざしているのは「自分自身のことがもっと好きになるような眼鏡と出会っていただくこと」。そのためなら、どんな切り口からでも対話できるし、キャラクターを変えることもできる。小林が自身の経験から掴んできた得意技だ。自由が丘店の開店(2014年6月)から店長を務めてきた川西勇二店長は「小林がウチに来てから、女性客を中心に客層がグッと広がりました。いろんなお客様の心を巧く捉えていると思います」と目を細める。

就業後や休日の楽しみは新宿二丁目に出かけること。多様な人たちと食事やお酒を共にしながら会話を楽しむことで、以前にも増して、いろんな人と壁を作らずにコミュニケーションがとれるようになった気がすると、小林は言う。最近は髪にカラーを入れて、より個性が際立った印象の小林だが、見た目の個性は彼女の一部に過ぎない。それよりも、多様な来店客の気持ちを感じ取り、受け止め、その人に合った眼鏡を提案できるところが、彼女の本当の個性であり特性なのだろう。他の誰にも代替できない彼女の持ち味は、画一的な接客を望まない金子眼鏡と、とても親和性が高い。
2023年10月からは東京眼鏡専門学校に通い始め、国家資格の「眼鏡作製技能士」の取得をめざしている。それは、41歳にしてようやく、この仕事を続けていく決意が固まった証でもある。眼や眼鏡に関わる知識は実務を通じて経験的に学び取っていたつもりだったが、科学的な裏付けを伴った専門知識の習得はとても新鮮な体験で、座学が苦手だったはずなのに、今は勉強が楽しくて仕方がないと言う。
小林は「金子眼鏡も大きな会社になってきましたし、自分自身もそれに合わせて成長したい。これからは新人さんがたくさん入ってくると思うので、少しでも早く仕事に慣れて自分らしさを発揮できるようにサポートもしていきたいですね」と抱負を語る。そして、「仕事も人生も楽しむことが第一ですから」とも言葉を添えた。


PROFILE

小林佐和子/Sawako Kobayashi

神奈川県出身。埼玉の工業高等学校を卒業後、2001年に飲料メーカーに就職。その後、2004年に大手眼鏡チェーンに就職して眼鏡店での販売に従事し、TV制作会社勤務を経て再び大手眼鏡チェーンに戻る。2010年に金子眼鏡に入社。越谷、柏での勤務を経て、2015年の金子眼鏡店 青山店のオープニングスタッフに抜擢される。以降、銀座店、銀座並木通り店でもオープニングに携わったあと、2021年3月から自由が丘店に勤務。