内から見れば気づかないが、外から見た途端に浮き彫りになる「モノの真価」というものがある。例えば、自分が生まれ育った街の魅力を、一旦離れることでふと気づくことがある。道具もそうだ。いつも当たり前のように使っているものを手放したとき、それが自分にとってどれだけ大切なものか初めて気づく。金子眼鏡の自社工場『BACKSTAGE』企画デザイン室のチーフデザイナー・矢野夏奈子にとっては、【日本のものづくり】がそれに該当する。
「大学在学中、交換留学でニューヨークに行って現地で生活したとき、日本の暮らしの中で日常的に触れてきた伝統的な手仕事や、そこから生まれる製品の凄さを痛感しました。これは私に限らず、海外に留学した日本人であれば皆感じることかもしれませんが、 日本にいたときは正直そんなことを思ったこともなかったので。それから、少しずつ日本のものづくりに携わりたい、国内外にその素晴らしさを伝えられる仕事がしたいという気持ちが芽生えました。眼鏡の産地としての鯖江を知ったのもちょうどその頃です」
そして今、眼鏡の街・鯖江という伝統的なものづくりの中枢で、デザイナーという立場に身を置く矢野。今年で13年目を迎えるその世界は、彼女にとって「夢のような場所」に思える。「入ってみると、想像以上に楽しい世界だったというのが本心です。そもそもデザインを描くのが好きで、それが仕事になって、自分がいいと思って描いたものが商品として形になる。大げさではなく、私にとっては夢のような仕事なんです」
大切なのは、どんな人が使うか。
矢野は地元である大阪近郊の高校を卒業後、京都精華大学に入学。芸術学部造形学科で版画を専攻した。学んだのは、デザインの本流よりも自己表現の追求。題材は商業的な絵画やポスターなど二次元的表現がメインで、大衆に幅広く訴えるデザインとは真逆の、オリジナリティ優先で「誰がどれだけ面白いことができるか」が評価され、また自身の創作基準もそこに軸足を置いて勉学と創作活動に打ち込んだ。そして前述の通り、大学3年のときの海外留学での経験を通して日本のものづくり文化に感銘を受け、金子眼鏡に就職した。ものづくりの現場『BACKSTAGE』はまさに、矢野にとって身の引き締まる思いで仕事に向き合える理想的な環境であった。
一口に「眼鏡のデザイン」といっても、その仕事の振り幅は広い。商品のコンセプトから関わりフレーム全体(玉型)を考えることもあれば、テンプル・ブリッジ・鋲・飾りなど、部位やパーツのみをデザインすることもある。しかしどんなデザインの仕事でも、眼鏡単体で考えることはない。大切にしているのは「店頭で、その眼鏡をどんな人が手に取るか」を考えることだ。
「子どもの頃から人間観察がクセになっていて。実際に、街で見かける人を見ながら『この人はどういう職業で、どういう暮らしをしていて、どういう経緯でその洋服・眼鏡・カバンや靴を選択して、そこにいるのだろうか』と妄想します。これは私にとって、眼鏡のデザインを考えるときに思い描く人物像のソースになっています」実際、矢野の手元にはいつもスーツスタイルやストリートスタイルなど毛色の違う服装の人物写真をファイリングした資料があり、その人物の顔部分に自分がデザインした眼鏡のイメージをはめ込み、全体の雰囲気をうかがう。そして、眼鏡を単体のアイテムではなく、あくまでコーディネイトの一部であり、毎日使う日用道具の一部として俯瞰して見て、ブラッシュアップを重ねていく。
「時代や空気感からトレンドを意識することはもちろんですが、偏りが出ないようにバランス感覚を保つことは常に意識しています。自分の立ち位置をあくまでその枠の中において、そこからデザイナーとして新しさや使いやすさをプラスしていく感じです。もちろん、すんなり出来上がることはほとんどないし、もがくのが当たり前。スランプがあるのかと聞かれれば、ずっとスランプが続いているような状態です(笑)。でも、言葉にするのが難しいんですけど、自分が描いたものが掛け値なしで『いい』と思える瞬間があるんです。そういうものは次の日見ても、さらにその次の日見ても変わらずにいいと思える。そして周囲に見せてもいいと言ってもらえる。そういうものが商品化されたときは、多くのお客様に選ばれるものになっていると思います」
理想の「普通」を目指して。
自身を「あくまで庶民的な感性の人間」と位置付ける矢野。同時にそれは彼女にとって、また一人のデザイナーにとって失うことのできない重要なファクターだ。「デザインの仕事をしていると、どうしてもかっこつけたいとか、既存の枠を超えた斬新なものにしたいとか、エゴや欲求が出てくるものです。でもその欲求に惑わされることなく、常に地に足はつけておきたい。庶民感覚、普遍的感覚から生まれる眼鏡の方が、私にとって魅力的なんです。
金子眼鏡には、鯖江で代々培われてきた様々な知恵があります。そしてこれまでの先輩方がその知恵を活かして膨大な仕事を残してきました。その軌跡が、私にとって一番の教科書です。その教科書を活かして、自分が目指すのはモノの良さが際立つシンプルさ。一見、その人にとって【普通】と思ってもらえる眼鏡こそが、その本質を見てもらうのに最高のデザインだと私は思います。眼鏡でも服でも、たまにはいつもと違う印象のものを試してはみたけど、やっぱり最後は戻ってきてしまう自分の中の【普通】ってありますよね?多くの人たちが思い描くそれぞれの【普通】を生み出し続けることができれば、デザイナーとして理想的ですね」
0を1にする仕事。その生みの苦しみから逃れられないのがデザイナーという職業だ。しかし、その苦しみを超えたところにある生みの喜びに勝るものはない。矢野はスケッチするペンを紙の上で走らせながら、いつもそのことを感じている。
PROFILE
矢野夏奈子/ Kanako Yano
大阪府大阪市出身。京都精華大学芸術学部造形学科版画専攻。大学在学中は、主に紙素材を用いた芸術表現を学びながら作品制作に打ち込み、デザインの才覚を磨く。またニューヨークへの交換留学も経験し、世界から見た日本のものづくり文化の真髄を知り、徐々に日本の伝統産業への興味をいだく。卒業後、金子眼鏡に新卒で入社。自社工場『BACKSTAGE』の企画デザイン室に属し、デザイナーとしてのキャリアを積み重ねる。
「大学在学中、交換留学でニューヨークに行って現地で生活したとき、日本の暮らしの中で日常的に触れてきた伝統的な手仕事や、そこから生まれる製品の凄さを痛感しました。これは私に限らず、海外に留学した日本人であれば皆感じることかもしれませんが、 日本にいたときは正直そんなことを思ったこともなかったので。それから、少しずつ日本のものづくりに携わりたい、国内外にその素晴らしさを伝えられる仕事がしたいという気持ちが芽生えました。眼鏡の産地としての鯖江を知ったのもちょうどその頃です」
そして今、眼鏡の街・鯖江という伝統的なものづくりの中枢で、デザイナーという立場に身を置く矢野。今年で13年目を迎えるその世界は、彼女にとって「夢のような場所」に思える。「入ってみると、想像以上に楽しい世界だったというのが本心です。そもそもデザインを描くのが好きで、それが仕事になって、自分がいいと思って描いたものが商品として形になる。大げさではなく、私にとっては夢のような仕事なんです」