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金子眼鏡と 仕事と 人と

2022.01.20

BASEMENT/設計主任

藤木良壮


 


藤木良壮
金子眼鏡が2019年に新設した製造拠点・BASEMENT(ベースメント)。未来への指針となる「デジタルとアナログを融合したものづくり」を模索するこの現場で、いま修業真っ只中の若者がいる。その彼がその修業の末に見据えるポストは、実はこれまで金子眼鏡では誰一人として就いたことのない未知の領域だ。
藤木良壮、28歳。現在の肩書きは製造部門の設計主任。もともとはデザイナーを志してこの会社に入った。金子眼鏡にはかねてからデザイナーチームが存在するが、設計専門のポストはそれまでなかった。藤木は、いま設計の仕事を学びながら構造・理論を深く吸収し、同時に生産管理の仕事をしながらコストの概念を頭に叩き込み、その上で将来的にはデザインもできる人間になろうとしている。それはつまり、眼鏡の製造におけるマルチプレーヤー。そういった人材育成は金子眼鏡の社内においても発展途上の領域であるため、誰もその立場になった者はいないのだ。

「設計」と「デザイン」。広義の上では同じ意味だが、製造工程における役割はまるで異なる。デザインはどちらかといえば、形状の美しさやユニークさ、または機能性の高さなどを「画で描いて表現する」ことが主な役目。一方、藤木が担当する設計は、あがってきたデザイン画を生産用データに置き換え、図面におこして構造的見地から製品化できるか否かを検討・検証するのが役目だ。彼の場合、そこに「生産管理」と呼ばれる仕事が加わり、実際に製品化が決まったものに対して部品を発注し、入荷管理をして、スムーズに製造に入れるよう現場へ橋渡しをする。設計と生産管理、この2つの仕事を担当してからまだ2年と少し。毎日目がまわるほど忙しいし、学ぶことは山のようにある。「僕の立場は、内部・外部問わず日々いろんな人と顔を合わせることが多いので、自分が想像もしていない加工の技術や製造に関する情報をいただくことが本当に多いんです。これはいまの立場だからこそ得られることで、自分にとっては本当に貴重な機会。それをいかに吸収して、次の仕事に活かせるかが大事だと思ってます。とにかく、いまは勉強につぐ勉強です」
藤木良壮 藤木良壮

デザイナーになるための修業開始。

藤木は富山県立山町出身。日本屈指の豪雪地帯であり、立山連峰や黒部ダム、「雪の大谷」などで有名な場所だ。同時に富山は越中瀬戸焼きや越中和紙、土人形など伝統工芸の盛んな北陸地方のひとつでもある。そんな環境で生まれ育った藤木は、やがて工業デザインに興味を持ち、高校卒業後に名古屋芸術大学に入学。主にプロダクトデザイン(製品設計)を学ぶべくデザイン科を専攻。授業では自らがシチュエーションを設定し、それに沿ったコンセプトデザインを描きながら、あらゆるものを試作した。この4年間で、CADをつかった工業図面の作成技術を身につけ、自分が考えたものが段階的に形になっていくものづくりの楽しさを知った。卒業後、ここで学んだことを日本の伝統工芸の分野で活かしたいと考えた藤木が就職先として志望したのが、福井県鯖江市の伝統的な眼鏡づくりを礎とする金子眼鏡だった。「工業よりだけど伝統的なことも絡めてシンパシーを感じるものづくりを行なっているところはないか、と探したところで金子眼鏡を知りました。早速、調べて近隣の店舗に行ってみたら、こんなにたくさんのデザインが存在するのかと驚いて。眼鏡の業界でデザインの仕事を通し産地に貢献できるものづくりを目指そうと決めました」

2017年、デザイナーを志して金子眼鏡に入社した藤木だったが、配属されたのは自社工場・BACKSTAGE(バックステージ)の中での製造の最前線だった。会社の意図は明確だった。まずは製造の現場を知らなければ、独りよがりのデザインや机上の空想のようなアイデアしか生まれてこない。現場に身を置き実際に手を動かすことが眼鏡の理解を深める一歩となり、いずれはものづくり全体を知る人材に育てることが出来れば、そんな思惑あっての配属だった。そうした会社の意図を受け止めた藤木は、そこで3年間、毎日フレームの削り屑にまみれながら必死に製造に打ち込んだ。
藤木良壮

目指すは、マルチプレイヤー。

藤木がプラスチックの製造現場で眼鏡の製作に格闘している間、金子眼鏡では製造において新たな取り組みがすでに始まっていた。
メタル製造会社の事業承継より開始されたGLASSWORKS(グラスワークス)において、自社商品のメタル製造がいよいよスタートした。これによりメタルフレームやコンビネーションフレームなどの製造においてより高い精度設計が求められるようになった。その後、バックステージにおいて熟練した職人による匠の技を後世に繋いでいく取り組みと、グラスワークスで始まった高精度なメタル製造の取り組みは、「不易流行」を理念とする金子眼鏡にとって産地の将来を担うべく新たな工場設立の構想に繋がっていくことになり、2019年には製造インフラ工場の新拠点・BASEMENTが建設された。
それは藤木にとっても次なるチャレンジの場となった。金子眼鏡でのはじめの一歩は希望だったデザイナーとは違う製造の現場だったが、それはこの先深い理解を持ってあらゆる経験をものづくりに反映させるためだ。バックステージでは必死に手を動かしアナログ技術によるものづくりをおこなってきた。そして今度は眼鏡の構造を理解すべく設計を学ぶため、もともとベースとなるCADなどのデジタルスキルを持っていることを活かしベースメントへ机を移すことになった。
設計には、デザイナーと異なり製造における難易度を理解したうえで意匠、強度、機能など複合的な知識や検証力が必要だ。製造部長と社内外の職人たちとの打ち合わせに一緒に立ち合い、その関わりを通して眼鏡製造とその構造上の理解を一から叩き込む。外部からの知見と自らの努力で、CADを使い設計図面を起こす日々がこうして始まった。

「金子の社員になってからは製造の現場しか見ていなかったので、入社後しばらく経ってから自分の眼鏡を店舗に行って購入しようと名古屋に行きました。売り場でじっくり見たんです。びっくりしました。製造の現場でさんざん見ている眼鏡なのに想像よりずっと魅力的に見えました(苦笑)。製造の現場ではつくる苦労が先立って、知らぬ間に見えなくなっていたことに気がつきました。売り場では照明に照らされてキラキラして、素晴らしいものに見えたんですよ。そこでようやく自分は楽しい仕事をしてると思えましたね」

いまは修業の身で、将来のことを訊かれても「それどころじゃない」のが本音であり、それだけ毎日吸収しなければならないことがある。とにかくいまは設計に必要なあらゆるスキルに磨きをかけ、現場の職人や各担当部署の先輩たちに教わりながら一歩一歩前に進むほかない。目指すは「眼鏡づくりのマルチプレーヤー」。社内随一のポジションに就くその日まで、藤木の奮闘は続く。


PROFILE

藤木良壮/Yositake Fujiki

富山県立山町出身。地元の高校を卒業後、工業デザインを学ぶべく名古屋芸術大学に入学してデザイン学科を専攻。そこで学んだプロダクトデザインの知識を日本の伝統工芸に活かす仕事に就きたいと考え、卒業後に金子眼鏡に就職。自社工場であるBACKSTAGEに配属され、眼鏡づくりの現場で製造に3年間深く関わり、2019年に新たに建てられた自社工場・BASEMENTへ異動。現在は設計主任という立場で設計と生産管理を担当する。